
こんにちは、kinkoです。
昨日は節分でしたね。豆まきをしたり恵方巻きを食べた方も多いことでしょう。
本日、2月4日は立春の旧正月で、新たな年の幕開けにあたり、主人と貧乏だった子供の頃の事を話しました。
ところで、みなさん、お金持ちになりたいですか?
こう質問されて、面と向かって「はい」と答える人は半分くらいなんだとか。友人同士でも何となく「給料」や「資産」の話はタブーですよね。トレンドの仮想通貨の話はしても、投資に関する話はあまりできません。
親子間でも遺産の話は出来ませんし、「お金=汚らわしいもの」の位置付けです。日本人はこのお金に対するイメージを変えていく必要がありそうです。
無知は恐ろしい
kinko夫婦は、子供の頃とても貧乏でした。
親達は全員中卒でしたから、子供に対しては高校を出れば働けばいいというスタンスでした。バブル時代なのに「女が大学なんて…」という時代錯誤があり、「上を見るな!分相応でいい!」と、言われ続けていました。
主人の方は、職人を強要されたそうですが、どうしても大学へ進学したくて国立大1校にしぼり、春休みの間に日雇い勤務で貯めたアルバイト代を入学金に当てたそうです。
何十年も経ってから、お義母さんに「国立大学って授業料あるんだね、無料だと思ってた。」と言われたそうです。大学時代には仕送りもなく相当苦労したようです。
1ヶ月に7食しか食べれなかった時は、何度も大学を辞めようかと思ったそうです。お腹いっぱいご飯が食べられたら死んでもいいと思ってたくらい…
それでも主人が大学を辞めなかったのは、「親のような貧乏人になりたくない」と強く思ったからでした。その頃は、学歴至上主義でしたから『大卒』の肩書きが必要でした。
親達は、大学進学=お金持ちの見栄、と思っており、教育の重要性を理解していないようでした。
貧乏人の負の連鎖
『貧乏人の子供は貧乏』と決めつけているのは親の方でした。親は、「自分が貧乏で可哀想だけど、運命だから仕方ない。」と嘆くだけでした。
子供に対しても「貧乏人の子供だからな。」と、この先も貧乏であることが当然のことのように言っていました。
そして、大人になった子供が少しでも裕福そうに見えると、kinkoの叔父のようにお金の無心に走る人が多くなりました。
叔父の借金は断りましたが、主人の親にはボーナスの度に仕送りをしていました。
親戚が貧乏だといくら頑張って稼いでも、その大切なお金は親戚へと流れていきます。
負の連鎖を断ち切る
ここを断ち切るのは相当大変ですが、年を重ねるごとにkinkoは図々しくなり、情に流されなくなり、いい顔をすることを辞める事で、親戚への出費が劇的に減りました。
貧乏人の負の連鎖を断ち切るのは心の痛みを伴います。でも、自分の代で止めなければ、子供達にも同じように続くのです。
例えば、親戚が50万円借りに来て、全額は貸せないので5万円をあげたとします。相手は有り難がるどころか「あいつケチだな、5万円じゃ足りないのに…」と思うのですよ。せっかくあげた5万円は、何の意味もありません。
お金を借りに来る人は、貸しても貸さなくても恨むんです。だとしたら、貸さない方がいいですよね?『金の切れ目が縁の切れ目』の親戚や友人は要りません。そう、子供にも話しています。
お金持ちになりたければ努力しかない
親戚からのお金の無心はなくなりましたが、自分達だけがお金持ちになってもダメだなと感じることがあります。一族みんなが裕福になってこそ幸せなんですよね。
kinko夫婦は、親からの遺産は受け取りません。親の遺産がなければ、あとは自分達の稼ぎと努力しかありません。この努力とは、節約や投資の勉強でしょうか…
そして、自分の子供には金融リテラシーを身につけさせる教育も大事だと思います。学校ではお金の勉強は教えてくれませから。
今は情報化社会で、簡単にネットで調べる事が出来るようになりました。投資家さんのブログの成功例や失敗談も大変参考になります。
いい時代になったな、と思うkinkoでした。
【kinko家で実際にやっていたお金の教育はこちら】
ま と め
- 自分の代で負の連鎖を断ち切ろう
- 金の切れ目が縁の切れ目の親戚はいらない
- お金持ちになりたければ努力しかない
お読み頂きありがとうございました!
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お金持ちになりたければ努力しかないとのことですが、能力や資質がない人は、努力しても無駄だと思います。努力云々の前に、遺伝的に優秀かどうかを見極めたほうがいいかと思います。遺伝的に優秀そうであれば努力したほうがいいですが、そうでなければ努力しても時間の無駄になると思います。
努力する意味やら甲斐があるのは、能力・資質等を持っている人たちだけです。そんなもんやってみなければ分からないじゃないか!と仰るかもしれませんが、分かります。親や親戚等を見れば、自分がどの程度の人間になるかは大体想像がつきます。親が大したことのない人間なら、自分もそうだということです。蛙の子は蛙ですし、鳶も鷹を産むことなどありません。
周りの人間を見渡してみても、それが分かりますよね。大したことのない人間ばかりです。では彼らは努力を怠ったのでしょうか?そんなはずもなく、殆どの人間は努力してきてると思いますよ。それでも99%の人間は、大したことない人生を送ってます。
努力して報われる可能性があるのは、能力や資質等があるほんの一握りの1%の人たちだけです。あとの99%は努力しても無駄です。1%の人たちの養分にされるだけです。遺伝的に大したことのない99%の人間が、負の連鎖を断ち切るには、子孫を残さないことが最良だと思います。能力や資質等がない子供は、苦労・苦痛だけの無意味で悲惨な人生で終わると思いますけどね。
色んな意見がありますね。∑(゚Д゚)
考えさせられます…
こんばんわ
ツイッターではリプありがとうございました。
「才能」「資質」といってしまえば身も蓋もないと思うのですが、私としては子供にはできれば親よりも良い生活を送れるようになって欲しいのです。(子供はいないですが)
出所は忘れましたが、子供が成人してからの資質や能力は小学校前の幼児教育でかなりの割合で決まるという研究結果を見た覚えがあります。
だとすれば、私が親になったら小学校前までにお金のことも含め全力で子供に教え込みたいと思います。
「子供に資質がないから何しても無駄」は、希に聞く「政府がダメすぎるから何しても良くならない」と言うのと同じだと思うのですよね。
少なくとも幼児期の教育で大人になってから活躍できる可能性があるなら、負の連鎖を切れる可能性があるなら、やってみる価値はあるでしょう。
ということで、私に子供ができたら全力でいろんなことを教え込んで行きたいです。
ぐりペンギンさん、こんばんは♪
同感です。諦めてしまえばそれまでなので…
大富豪は無理でも努力で貧乏は避けられるかと思います。私達夫婦は子供の頃に貧乏だったので、子供には同じ思いをさせたくない一心でした。
ぐりペンギンさんがおっしゃるように「やってみる価値」はあると思いますね。
こちらこそ、コメントありがとうございました!
努力して成功した人が「貧乏人、勉強の出来ないやつ=努力不足、努力しないダメ人間」と「自分に厳しく、他人にも厳しい」のも困ります。どうもこの考えが一部の弱者切り捨て論の根底にあるような気もします。
かと言って怠惰な人間が「貧乏、勉強できない=遺伝、運命」と自己弁護している例もよくあり、これも困ったものです。
親が駄目でも友達や教師や周辺の大人に学校の勉強な重要性、ノウハウ(当然金融リテラシーも)を学ぶ例もあるし、偶然手にした一冊の本が人生変えることもあるし。
まあ、こう考えると結局運ですかねw
最北の投資家さん、こんばんは♪
運も大きいと思いますが、「偶然手にした一冊の本」のような機会を子供に与えることができれば嬉しいと思いますし、何か良い影響を少しでも与えられたらと思っています。皆さんからのコメントも勉強になります。
[…] の『貧乏』を知らないから怖いものがないのかもしれません。 […]